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温かすぎて春かよ、の、関東から夏の話の更新でした。

「片蔭」

これで青春ブロックが終わったわけですが、元々ここらは同人誌で出していて、米沢話は、その流れの続きでした。

なので、何のためらいもなく安田さんの話から書き始めてしまったわけですが、もしかして、過去本を読んでいない方にとっては、なぞなぞ過ぎる筋立てだったのではないのか、と、今更並べて気づく始末です。

うちは基本昔から見て下さる方ばかりだと思っていたのですが、どうなんだろう。もしかすると、歴史物にも首を傾げておいでのご新規さんはおいでだったのだろうか。

 

と、いうのも、最近初めて拙宅のハゲや鋼や振りを読まれたという方から、ちょいと一言いただく機会が続きまして。

HP閉鎖により本棚っていうか、とりあえずの物置代わりのつもりでいた自分としては、今更検索除けのないピクシブという若者ツールに瞠目する思いでした。面白い時代だなぁ。

 

この辺り、古い話の移動を望んでくださった方がおられたので、この面白い事態に遭遇しているわけで、その節はありがとうございました。

 

あと、こちらの与太日記は、長らくパチを押して下さった方からの後押しでした。やはり、ツイッターでは、だらだら下らない事を書くのには向いていないので、やってみるとこちらが楽でした。

きっと、己だけでは面倒くさがってやる気もでなかったでしょう。望んでくださって、ありがとうございます。

 

あと、私の眼は十年前からの緑内障なのですが、結構進んでしまって、右の中心点に視野の欠損があります。なので、運転の景色とか、料理の手元とかざっくり大きいものを見るには、まだ大丈夫なのですが、細かな文庫本等の字を追うと、その白い欠損部分が衝立のように邪魔して、すごく読みにくいのです。

後は眩しさにすごい弱い。特にデパートなどの、様々な明かりが売り場ごとに乱立する場所がとても見づらくて辛いので、基本グラサンです。

焦点を合わせる動きも鈍っているので、眼鏡も近距離用に度数の弱いものを用意してるし、スマホは基本確認にチラ見するだけです。

そんな有様なので、当然自分の昔の本も見づらくて、鋼の再録なんて数ページ読んだだけで涙が噴出して、すぐに頭痛がやってきます。

そういう意味で、デジタルツールの有難さなんです。字が大きくできるし、見やすいように字体も行間も変えられる。この日記ツールも、とても書きやすいです。

 

遺伝的なものと老化が主原因で、治療も眼圧を下げるくらいしかないので、仕方のない話なのですが、最初に欠損に気づいたときは、物凄く落ち込みました。

あれほど好きだった本を読むのも時間がかかって大変だし、新聞も読みづらい。今後症状が進んで何も見えなくなったらどうしよう、どう生活したらいいのかって周囲にも泣きついて大騒ぎをして、騒ぎすぎてもう疲れましたので、今は落ち着いています。

なにせ全然我慢が出来ないたちなので、なにかあると、わーわー騒いで、騒ぐのに飽きるまで泣きわめいている。で、飽きると、渋々立ち直るわけなですが。

 

今後どうなるのかなぁ、と、考えるときりがないですが、今まで生きてきて一度も考えた通りの出来事が起きたことはないので、まぁなるようにしかならないか、と、半ばふてくされてコーヒーを挽いて飲もうと思います。

 

悩んで食欲がなくなっても、コーヒーとココアだけは美味しい。どちらも日本ではほとんど栽培できない、しかも生死に直結しない嗜好品なので、これを楽しめる状態で生きられることを願いつつ、本日も、なんかくだらないことを書いています。

 

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高性能ゆえに取り扱いが難しいけど、小さい頃から見ているのでやっぱりかわいくて甘やかしてしまう面倒見のいい受けに、結局一生大事にされる飼い犬系攻めの話でした。

「扱いづらい馬と人の話」

しかし、史実もまさにそんな感じのような‥‥あ、受け攻めは別として。

 

どうも日常話は読まれないんだよね、と、ツイでも書きましたが、ピクブラは、色っぽくて暗い話が好まれる傾向にあるようで。

洛陽話とか、三成がらみとかは、置き場所としてはピクシブなんだろうな、と、思いはするのですが、商売じゃないし、あんまりそういうこと気にしても仕方がないのか、どうなのか。今ですら、何もかもピクシブに投げ入れすぎだろう、とも思うしなぁ。

 

ちなみに、前述の通り靴は散財しまくって生きてきましたが、翻ってバッグは、エルメスもグッチもヴィトンもシャネルも買ったことなくて、未知の世界です。

家族が持ってるのを借りたことはあったけど、とにかくバッグ自体が重いし、ゴージャスで目立つし、電車通勤の庶民には荷が重かった。

あと、荷物入れる袋にあの値段は出せない、と、つい思ってしまう。その辺り、個人の感覚としての話なんですが。

 

なのでバッグは、ブランドというのかも不明だけど、複数あるのは、ジャック・ルコーのリスボンで、これはなんでも入って自立するので、資料とかも角が折られず、弁当とか水とか不定形なものを入れても外見がすっきりしてるので使い勝手が良いバッグでした。カーキとモスグリーンを、ハンドル部分を修理して十年以上使ってるな。

何かの儀礼的な集まりとか、会食の際は、昔のボッテガヴェネタのミニハンドバッグを引っ張り出すけど、あとは、アッシュペーとかビームスとかで適当に買って使って捨てていたので整理も簡単でした。

今は、RENの革トートとか、貰い物のエコバッグやらサコッシュで事足りています。

歩く動作=体調に直結しないし、物が入ればいいから、まぁ最悪趣味が合えば風呂敷でもいい、と、いう適当具合なのですが、友人にはあんたはメルカリに出せないものばっかに散在して、と、叱られました。

そうか、そういう考え方もあったのね、そうなると商標も経済的に意味があるな、と、感心した次第です。売れるもんねぇ、今なら。

 

 で、以前は、パチの一言で、私はこんなの好きですよー、とか、コレ使ってます、便利だよ、とか、色々頂いて楽しかったので、気が向いたら書き込んでやってください。

最近、一言くださってた方々はお元気だろうか、と、考えたりしてます。まだ皆様ご活躍の世代だろうし、お忙しいだろうなぁ。

 

 

持ち物整理

どっかでも書いてましたが、寄る年波で持ち物の整理をしていて、これは靴についての覚書として。

 

最初に買った高い靴はブルーノ・マリのレースアップで、大学生の頃履きやすさに感動して、幸い気楽な身分だったので、スニーカー、もしくはイタリア靴という極端な時代を過ごした後に就職して歯止めがなくなってしまい、気の向くままにあれこれ試しました。

当時はやったルブタンやマロノも買ってはみたけれど、分かったことは、どんなに高価な靴でもハイヒールで長く歩くのは苦痛、てな、身もふたもない結論でした。ブーツでも辛い。特にショートブーツは、パンプスよりもハイヒールであることが辛い場合がある。逃げ場がないからかな。

 

確か、おお振りやハゲ書いてた激務時にぎっくり腰をやってしまい、以降ヒールは死蔵、全ての靴はせいぜい3センチ、なんだけど仕事でスーツヒール必須の場面はまだあって、渋々履いてたのはコールハーンのパンプスでした。当時、画期的だったナイキのエアインソールで、大分歩行が楽になったものです。

 

で、今回の断捨離ならぬただの整理の過程で、履かないくせに貧乏性で捨てられなかった華奢なハイヒール系はすべて処分したのですが、キレイなんだよな、シルエットが。だから、男女問わずあの造形に美しさを感じるのはすごくわかるし、履けるうちは試してみるのも悪くはない。もちろん、人から強制されたら、ふざけんな、と、思うけども。

しかし、今にして思うと、女らしさ云々ってよりは、コスプレ感覚だったなぁと思うのです。スカートもヒールもメイクも、女の人っぽさが必要とされる場面で、女の人の仮装をするって感覚。

自身にそれが属性として備わっていないので、余計かもしれないけど、それでちやほやされる雰囲気も含めて、ありゃあコスプレ空間だったな、と。

 

今は目が悪いのでニューバランスか革靴なんですが、アウトドアブーツの履きやすさに感動して、今年はちょびっと散財しました。

残してある冬物のブーツは、サルトル乗馬ブーツやロッシのエンジニアやらのローヒールのみで、それらも重たい革製なので、ダメになったら順次捨てて、高価な靴との決別となりそうです。

 

現在の住んでいる古家をたたむときには、もっと身軽になっていられるといいのですが、どうなることやら。

四十も半ばを過ぎると、ぼちぼち同じ年代の方の訃報も届くお年頃、うちは歴代早く死ぬ家系なので、あんま猶予はないなと肝に銘じています。

 

 

 

 

 

十年前の話

なんで突然歴史に、と、聞かれたのですが、それは、当時放送されていた天〇人という大河ドラマへの「これじゃない感」のせいです。

いや、史実はともかく、藤沢周平の密謀とか山田風太郎歴史小説直江兼続は知っていたので、上杉の辣腕家老で六尺超えのイケメンってイメージだったわけです。

なのに、件の大河では、どうもこの人には政務を任せたくないぞって人物造形がされてまして、演じた人には申し訳ないのですが、やたらにこにこしてる小柄な童顔青年ってあたりで、兼続じゃない感が満載。貴様、あの魚津城まで行って何してんのとか、すごく軽く扱うよね、主君の意思を、とか。

そんで上洛の頃に見るのをやめてしまって、勝手に捏造を始めたら、予想外に楽しくて続いてしまったわけです。結局最後の逝去の場面だけ見たけど、あれもひどかったな。そこらの隠居老人じゃねぇんだぞ、の、描写で。

そして、北村さんの御屋形様は、まつげバシバシの華やかなイケメン過ぎて、あれでは後世に美丈夫って百回書かれてしまうレベルなので、やっぱりなんか違うし、謙信公は、覇王みたいな頑丈さの阿部様で、正室百人いそうだし。

玉鉄だけは、ですよねー、って美形の良き景虎だった、ってのを、師匠とのお話で思い出しました。

 

最近は、真田丸、直虎、いだてんと、好みで楽しみな大河が続いているのですが、一時ひどかった時期があったんだよな。

考証何それ、お茶の間にわかりやすく受ければいいでしょ、みたいな。だから、主人公がやたらメジャーな人と出会ったり影響を受けたり、物理的に無理な距離をけろっと踏破したりするのね。

泣きながら伊賀を超えた家康公のお供をしてこその主従だというのに。組の多摩時代みたいなもので、そこを映さないと関係の根拠がねぇぞ、の、ストレスが多大になると捏造を始めるみたいです。個人的には。

 

そういう意味では真田丸は、ドラマ楽しかったなぁ、と、ぼんやり断片を想像するだけでよかったので、三谷さんはホームドラマの人だけあって、そこに不足がないよなと思います。

御屋形様、でかかったけどかわいかったな。兼続は、含みあるいい半眼で、健気な上杉家の番犬であった。二人でいる時の苦労してきたんだねぇ感が良くて、気持ちよく見てました。

 

ま、今回の大河は、二人ともまだ生まれてもいないので、多分出てこないでしょうから気楽です。上杉家でちょっと出てくるとしたら、謙信様かな。ガクト様以来の派手なキラキラでも、ストイック学僧系でも、大スターだからどんとこいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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あと、一つ二つ載せておけば、米沢時代まで齟齬がないかなぁ、の、青春との別れ話「春闇」でした。

 

で、以下は書こうとしてエグくてすっとばした御館の乱の話。史実的に概要をご存じの方は、不要です。

 

こちらは特に詳しくもないし、変わった解釈もしていないので基本ウィキでOKなんですが、要は先代様が関東遠征の支度のさなかに突然逝去されてしまったので、北条家からの質子→養子となった上杉景虎と、弾正少弼の官位を譲られていた上杉景勝の間で後継を巡って起きた内乱、と、いうか戦です。

景勝方が春日山本丸を占拠、景虎方が二の丸から逃れて上杉憲政の御館にこもったことからの命名だそうで、要は上杉家継嗣の乱。

 

血縁や軍役、上田衆に対する直前の軍事力の増強、家中別格で御中城様と呼ばせていた扱いを思えば、順当に景勝だろって感じもするんですが、この人は上田長尾家の出身でして、先代謙信を支えた古志長尾家とは犬猿でして、そんでもって当然景虎実家の北条家や、当時北条と同盟関係にあった武田が介入して、家臣団も地域や血縁で二分するわけですが、とりわけ謙信時代の強力基盤であった地域から悉く背かれているのが興味深いんですよね。

 

謙信が景勝に送ったほほえましい手紙は現存していますし、実子の無かった謙信公が敬愛する姉の子を可愛がったのは確かなのでしょうが、そもそも謙信公は筆まめだったようなので、それは景勝に限ったことではないかもしれないし、もし手紙のような間柄であったなら、そういう血縁に対する甘さのようなものを謙信公の基盤である古志衆が苦々しく思っていたのかもしれないなぁとか、まぁ色々と楽しい妄想がはかどるわけです。

上田衆は、謙信時代に一度叛いてもいるし、古志方が気に食わないのも仕方ないし。

 

ただ、寵臣筆頭の河田長親や、古くからの重臣である吉江家や直江家が景勝方に着いたことを考えると、謙信の遺志がどうこうというより、越後を国として保つためには北条家の景虎を後継にするわけにはいかなかったんだろうなぁと。揚北衆の色部本庄新発田とか、一癖ありげな家中が景勝方ってあたり、現実的な落としどころが景勝後継だったんだろう感があるわけです。まぁ新発田さん、御館の戦が終わってすぐに褒美が少なかったんで腹立てて叛いちゃうけど。

最終的には、本丸の金蔵抑えた景勝方が、武田勝頼の頬を金でひっぱたいて味方につけたのと、冬場で北条の援軍が間に合わなかったのが大きいのかもしれないけど、北条援軍が間に合っても、混乱が長引くだけで、結局景虎は勝てなかったんじゃないのかなぁとも思うわけです。

氏政さん、そもそも援軍出す気があったのかなぁとか。あんま関係が深くないはずだし、現実的な方だったみたいだから、せいぜい東上野当たりまで兵出して逃げてこられれば助けようか、くらいで。

まぁ、それで景勝様は、景虎も正妻だった実姉も後継だった甥も殺すわけで、実母もパワーバランスを鑑みたのか景虎方の城に籠ったりしまして、まぁ色々と辛かっただろう戦です。

当時景勝22~23歳、どっかにいただろうけど下っ端だったから名前も残ってないね的な扱いだった兼続が18~19歳の頃です。

就職するくらいと、大学入学くらいかな、と、考えるとしんどいっすなぁ、あの時代。腐り掛けの生首を、次々検分する大学生達って想像すると、あわわわわ、と、なる。まぁ景勝さんは、特に若いころから殺し合いばっか見てるから、慣れてはいたでしょうけども。

 

その後の戦後処理も揉めて、それで直江船さんの旦那さんが春日山城内で殺されて、兼続が後婿に入るわけですが、それは「拾遺」に書いたので、そっちで。

そういや、謙信公死去の際に直江家の継室が枕元で遺言を聞いたって説もあるようですが、直江景綱さんは、女性関係が褒められたものじゃなくて、その方が船さんの生母かどうかは、はっきりしないみたいです。当時はもう信綱さんと結婚して、与板に住んでたみたいだし。ただ、直江家の室が正室なき謙信時代の奥を仕切っていたのは確かなようで、船さんがその後春日山でも伏見でも上杉の奥を仕切ったのも、家中からすれば見慣れた光景だったのかもしれないですね。

 

個人的には、旦那とより長く一緒に生活したであろう菊船コンビには、むらむらと花咲く妄想があります。菊ちゃんは勝頼を亡くして、船さんは信綱さんを亡くしている。年も近く、ともに聡明だと書き残された女性二人の洛陽での暮らしって、ちょっと麗しすぎるし、その後船さんは生涯をかけて、菊ちゃんが選んだ年若い側室四辻の姫さまの生んだ上杉継嗣である定勝さんを大事に育て上げているわけで、こう、シスターフッドだわぁ!と目がキラキラしてしまうわけです。

 

まぁ、解釈はそれぞれで、こっちはテキトーに歴史を楽しむばっかなので、学者さんたちの新しい説が出ると、へぇえー、と、有難く面白がっています。

 

最近では光秀の義妹が信長の側室だったかもしれない説です。

あれは、こう、萌えましたね‥‥主従で姉妹を愛したのかぁ、そっかぁ。ノブ、みっちゃんのこと信頼してたんだねぇ、なんて。

 

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六花、転載しました。

有名な北海道の製菓メーカーでも知られる雪の別名です。いやぁ、北海道のお菓子は、皆おいしいですよね。若い頃はイキって海外の高級チョコを梯子しましたが、最近では尖った香料や甘さが辛くて、国産菓子が多くなりました。現在のラブは柳月の北ポプラです。

 

で、件の話はオリジン繋がりで続きをピクシブに乗せたかったので、少し削って表に出しています。元々実質朝チュンなんですけど、妙に生々しいかもしれないような。

どのジャンルでも、くっついてるとこを書く場合、割と慣れあった人たちか、逆にぎくしゃくしたのが得意なので、ああいう夢見がちな若い子がふわふわしてる話は、書いていて新鮮でニヤニヤしていました。

まぁ、あの後前述のように辛いばっかの時代に突入するので、束の間の甘酸っぱい青春です。

一応あの後に新婚旅行、じゃなかった温泉旅行話が入るんですが、それはなくても話は通じるので、18R掲載は「六花」までかな。いつか読み返したくなったら、裏かピクブラに乗せましょうか。

史実かねたんは、頭もよく何でも要領よく裁く方だったようですが、割と気短で、当時の武人らしい気の荒い話も残酷な話も残る人で、ここ最近のゲームや大河の影響で妙に義理堅い人と思われているだけのような気がしています。まぁ、そこら各人が好きに解釈すれば楽しいってことですね。うちでは、あんな感じってとこで。 

 

 

ちなみに、先日のクズの大祖父の話、熱を上げた芸者衆が競って迎えに来てただけで、花街にはそれほど金を撒いてなかったみたいよ、だそうで。

女性にだらしなかったけど、当時の男にしては珍しく口調がやさしく、建築業なのに声を荒げたり人に手を上げたりすることもなかったから玄人衆にモテたそうで、って、いいんだか悪いんだか。

それを話してくれた孫娘である叔母も、しょうがない祖父だったけど、死ぬまでイケメンではあった、近隣でも有名だった、と、断言する当たり、どんだけよ、と、空恐ろしいです。

まぁ、その血は延々と薄まって、我等は普通のさっぱり顔なんですが、生きていく上ではこの程度が目立たなくて楽だよね、と、親族で頷きあう次第です。やれやれ。

 

 

 

 

 

明治のクズ男の話

えー、ひでぇ男の忘備録として。

横浜の山一つ入った農家の跡取りだったのに、顔がいいからと近衛兵を進められて独身だと嘘ついて白い馬に乗って若い娘さんたちにちやほやされた後、旧国鉄に入って、しばらくしたら部下を連れて退職して鳶の会社を興して、花街の真金町で総揚げをして遊びまわって、日が暮れると人力車で芸者衆が迎えに来るような毎日を送った挙句に不況で会社潰して先祖代々の土地をすっからかんにして、ふてくされて酒浸りしてたら胃癌で治らないってのが発覚して、隠居暮らしをさせてもらっていた息子の家の縁側で黙って首吊って、それを孫娘に発見させてトラウマを植え付けた、って明治男。

それが大祖父でした。

 

ちなみに嫁との間に子供が十三人いたけど、半分は病気やケア不足で死なせてる。そら、会社もつぶれるわって計画性の無さです。

 

ほかにも、個人名が発覚しそうなほどやらかしているわけです。特に女性関係で。写真見ると、確かにイケメンだったけど、所業が無茶苦茶すぎて、親父の借金のせいで、高等小学校を卒業してすぐにおしんばりの奉公に出された苦労娘であったうちの祖母は、あれほど清々した葬式はなかった、と、憎々しげに申しておりましたが、そらそうだわ。

おかげて、以降子孫代々クソまじめな公務員家系となりました。

そんでもって、親がこんなクズ男なのに、息子である大叔父は、真面目ないい人でさ。妹である祖母は、クズ父のせいかむっちゃ気が強い系なのに、誰にでも優しい働き者だった。

なので、遺伝と性格って何の関係もねぇよな、と、しみじみしたのを思い出した命日でした。もちろん、大叔父のほうの。

 ちなみに、大叔父も俳優のようなイケメンであった。なので、イケメン=クズではないのは確かなんだけども、ハンサムですね、と、言われると困った顔する人で、顔がいいってことが、大祖父のせいでよくない業だったんだろうなぁ、なんて写真を眺めて考えてました。なんか切ない。